滑らかなツヤと、適度なハリ。もぎたてのフレッシュさが果実の手触りから伝わってくる。瑞々しい赤い皮にところどころ小さな黒い穴がある。
「ほんのちょっとでも、ダメなんだね」
「んだのよ。傷んだどこからすぐに悪ぐなるべ。そうすれば周りのりんごも足がはえぐなって悪ぐなってしまうがらよ」
1つの腐ったリンゴが樽のほかのリンゴまで腐らせるというアメリカのことわざがあったっけ。傷ものを排除すれば長持ちするりんごばかりになるから樽そのものを売りやすい。とはいえ、他のリンゴが腐っていくのは傷リンゴのせいだけではないはずだ。樽を管理している環境にだって問題がある場合もある。
どちらかといえば傷んで売れないものの方を選んでしまう私は、そんな穿った見方をしてしまう。
「おばあちゃんは、これまでどう使ってたの?」
「サラダさ入れだり寒天さ入れだりするぐらいだべかな。昨年だば甘ぐなるって聞いでしゃ、雪さ埋めだりしたどもずっぱり忘れでしまっだのよ」
りんごを甘くするために雪に埋めたはいいけど、一晩中雪が降ってどこに埋めたかわからなくなったというおばあちゃん。私がときどきやらかすおっちょこちょいはおばあちゃんの血を受け継いでいるのかもしれない。
ともあれ、傷ついたサンふじ30個を目の前に胸が躍った。よしよし、あなたたちが売り物の美しいりんご以上に誰かに愛されるりんごになれるよう、私、頑張るね。
りんごは100℃以上で調理すると、食物繊維のペクチンが増える。雪国では冬の生野菜不足にありがたい成分だ。ここは、りんごを加熱して食べられるようにしよう。
コンポート、焼きりんご、アップルパイ。オーソドックスなりんごのスイーツを挙げるとキリがない。ふと、この甘さをほろ苦いカラメルで包んだタルトタタンはどうかと思いついた。りんごを砂糖とバターで作ったカラメルに絡め、パイシートをのせてオーブンで焼くフランスのお菓子。
タルトを作ろうとした失敗作からできたというその料理は、焼き上がって冷めたらひっくり返す。そう、パイシートを入れる順番を間違えたことで生まれたものだ。なんたってりんご、砂糖、バター、パイシートとシンプルな材料で作ることができる。至極簡単にできてしまうものだけど、いまを生きる忙しい人たちは、なかなか手はかけられないものだ。
春から売り出すスイーツやジャムの試作は、まずはこのりんごから。30個も使えるチャンスなんてそうそうない。早速取りかかろうと腕まくりをしたら、おばあちゃんから一言。
「甘いのもいいばって、おどさん(おじいさん)の血糖値上がればやづがねんて料理さも使ってけれな〜」
はいはい、素材提供者のご所望の通りに。
大きな鍋の中でカラメルで絡めながらりんごの水分を飛ばす。あっという間にりんごは小さくなり、台所いっぱいに濃厚な甘い香りが広がった。
次はおじいちゃんのためのりんご料理の番。これは、豚肉とソテーしたらどうだろう?
フライパンの上で、豚ロース肉とりんごのスライスをソテーしてみた。ちょっとおしゃれな感じ。
「おばあちゃん、これだったらどう?」
「おい、でぇご(大根)かカブみてんだな」
といいながら、おばあちゃんは一口つまむ。
首を捻った。
「ダメ?」
「なんと、これだば洒落だ味っこで。おどさん食べるべか」
おばあちゃんは貸してごらん、といい、余ったりんごをすりおろし器でゴシゴシと擦った。
「玉ねぎ、とってきてけれ」
はい、と野菜置き場に玉ねぎをとりにいく。古くて大きな家は、冬は家全体が冷蔵庫。暖房のかかっていない部屋が野菜や果物の置き場だ。
おばあちゃんは玉ねぎの皮を剥き、これもまたささっと擦りおろした。
「あ、ドレッシング?」
「まんず、見でれ」
フライパンで豚肉を焼く。焼けたところにりんごと玉ねぎをすりおろしたもの、生姜、醤油、みりん、酒を加えてざっと火をとおす。フライパンの端がぐつぐつと煮えたところに人差し指をちょっと入れて味見し、塩胡椒で整えた。なるほど、りんごと玉ねぎのソースか。
サンふじのもつ力強い甘みと玉ねぎの辛味が、豚肉を柔らかく味わい深く仕上げる。
さすが、主婦歴ン十年のベテラン!
「あんだの母さんも台所さ立づのが好ぎでなー。りんごどご擦ってよく料理さ使ってだなあ」
私の知らないお母さんの顔。
そうか、お母さんも料理が好きだったのか。
「あい、相撲始まるんて、あどお願いするな」
そう言って、おばあちゃんは居間へ戻って行った。
一人残された台所で、私はオーブンの予熱が上がるのを待つ。
タルトタタン。失敗から生まれた逆さまのケーキ、きっとおいしくできたはず。明日は、春日部に送るりんごジャムを作ろう。
窓の外を見る。しんしんと終わりなき雪。 暗くなる前にまた除雪をしなければ。
晴れ間に、スコップを持って玄関の外に出た。すぐに、長靴のくるぶしまで雪に埋まってしまった。
先ほどまでの濃厚なカラメルとりんごの甘酸っぱい香りが鼻の奥に残る。オーブンに入れたものは除雪が終わる頃には焼き上がっているだろう。パイシートを乗せて再び焼いたとしても、この寒さではお風呂上がりまでに冷めそうだ。
白く固められた地面にスコップを思い切り突き刺す。振動で、屋根から粉砂糖のように細やかな雪が降りてきた。
そうだ、りんごジャムにシナモンを入れてみようか。
明日こそ、おばあちゃんと買い物に行かなければ。